雄大な自然が魅力の烏来 その3:烏来の滝と高砂義勇隊

台湾での日本ネタ

哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。

前の記事で烏来の温泉&グルメと、原住民の1部族タイヤル族を紹介しました。

雄大な自然が魅力の烏来 その1:お勧め烏来温泉2選とグルメ4選
哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。台湾は日本と同様に山地が多く、各地で温泉が豊富に湧き出ていて台北の喧騒から離れ旅先で疲れた身体を癒やすこともできる北投温泉を以前の記事でまとめました。...
雄大な自然が魅力の烏来 その2:烏来タイヤル民族博物館と酋長文化村
哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。前の記事から台北南部にある烏来の魅力を紹介していますが今回は烏来に住む原住民について。台湾の人口は約2,300万人でその多くが漢民族で全人口の2%にあ...

関連して、本記事では名所烏來瀑布(Wū lái pùbù=烏来の滝)と

先の大戦大東亜戦争で日本兵と共に勇敢に戦い各地で散華された

台湾原住民部隊「高砂たかさご義勇隊」を祀った記念碑を紹介します。

(写真は2019年12月小生が弟と訪問した際に撮影したもの)

烏来の滝

烏来の滝の映えスポット烏來瀑布遊客中心(Wū lái pùbù yóukè zhōngxīn)

=烏来ビジターセンターまで、1人片道200元=約940円出せば

烏來台車(Wū lái táichē=烏来トロッコ列車)で楽に行くことができますが

もし天気・気温が良好で尚且つ体力が有り余っていれば

メインストリートである烏来老街からビジターセンターまで

景色を見ながら散歩がてら徒歩での進軍がお勧めです。

遊客中心の向かい側に見事な滝を拝めます。

ここまで来ればあと一息。

次に紹介する高砂義勇隊の御霊にお参りしましょう。

高砂義勇隊とは

大東亜戦争末期に台湾原住民タイヤル族を中心に組織された部隊で

日本軍に帯同する形で東南アジアや南太平洋群島に派遣されました。

当初は物資の運搬や道路の補修など、日本軍の後方支援が主な任務でしたが

ジャングルでの移動に優れ、夜でも目や耳がきき、戦闘能力も高いという

原住民の特性を活かし密林での食料調達やゲリラ戦で獅子奮迅の活躍。

彼らのおかげで生き残ることができたと証言する日本人も存在します。

「“高砂族”に助けられた」|戦争|NHKアーカイブス

小生は以前かおる空挺隊に関する伝記を読んだことがありますが

地面スレスレを飛ぶ日本軍の輸送機から飛び降りて

アメリカ軍が制圧・掌握するフィリピンの空港に降り立ちこれを急襲

部族の伝統的な武器である『蕃刀ばんとう』で敵をなぎ倒し

アメリカ軍兵員と輸送能力の無力化に一意専心

その勇ましい姿たるや筆舌に尽くし難いものがあります。

斯様にその勇敢さと自己犠牲の精神ゆえに戦死する者も多く

1942年3月~1944年4月まで計7回4千人弱が派遣されるも

無事に生きて台湾の地を踏むことができたのは

判明しているだけで700人に満たなかったことや

正に決死の従軍だったことは想像に難くありません。

高砂義勇隊記念碑建設の経緯

以前の高砂義勇隊記念碑は、台湾の旅行会社が資金を供出して

烏来タイヤル族の頭目(部族長)が管理していましたが

2003年アジアで猛威をふるった新型肺炎SARSの影響を受け

その旅行会社が資金繰りに窮して倒産、長らく放置されていました。

その後日本人有志の寄付により3,000万円が集まり2000年11月

新北市による整備管理を通して鎮魂の碑と慰霊碑が完成しました。

↑2013年12月筆者撮影

ところが、当時慰霊碑の碑文に「大和魂」や「皇民」などの文字があることを

国民党寄りの新聞中国時報が日本統治と戦争を美化するものだと批判的に報道

一部の国民党議員もこれに便乗して台北県政府が慰霊碑の撤去を求め

撤去に反対する地元住民と衝突。

慰霊碑を存続させるか撤去するかの大騒動に発展した結果

日本を連想させる文言を隠すなどして妥結。

その後2015年台湾北部を襲った台風により烏来の街全体が被災し

鎮魂の碑・慰霊碑に限らずこの一帯が土砂に埋もれてしまいましたが

義援金を受けて2017年にもう一度整備され復活することができました。

烏来高砂義勇隊主題紀念園区

Google map先生曰く

ビジターセンター後方にある曲がりくねった山道を登るよう指示がありますが

急な階段でショートカットできます。

階段は無料で運動できる公共資源。積極的に活用しましょう。

ビジターセンターから階段や坂道を歩くこと30分ほど、ようやく到着。

ここ烏来出身で高砂義勇隊として従軍し亡くなった方の

日本名、原住民名、出身部落、戦死した日、遺族代表名が記されています。

ここから階段でもう1段上がったところに勇敢な戦士を祀った記念碑が。

花束と日本酒が供えられていました。

合掌、礼拝。

烏来林業生活館

参拝をすませて下界に降り、休憩がてらビジターセンター向かいにある

烏來林業生活館(Wū lái línyè shēnghuó guǎn)を見学。

烏来地区は日本統治時代から林業が盛んで

台湾総督府は台湾全土にある樹木の種類と分布を把握し

計画的に間伐・伐採するなど管理を徹底したうえで

派出所を置いて警察を駐在させ治安を維持すると共に

蕃童教育所で原住民子息に日本語教育を施しました。

戦後の国民党政府による統治時代に入ると無計画な乱伐により

貴重な樹木が失われ林業の衰退と共にこの地区の経済も衰退。

その後、自然、タイヤル族、トロッコ列車、滝、温泉をPRした

観光業を中心に開発が進み週末ともなれば多くの観光客が訪れます。

弟と烏来林業生活館の中の展示物を見学していると、私達が日本人だと知って

とある高齢の台湾人男性スタッフが日本語で話しかけてきました。

聞くと、日本統治時代の烏来に生まれ、日本語教育を受けた世代だそうで

ひと通り烏来の林業の歴史を説明した後、日本統治時代を懐かしむように

『海ゆかば』と『君が代』を斉唱、教育勅語も唱和してくれました。

そして最後に、ニヒルな笑みを浮かべて一言。

「大東亜戦争で、日本は米国に武器で負けた。

 だが精神では負けていない。日本精神。」

現代日本の凋落ぶりを眼前にして

南海の地で儚く散った英霊、終焉胸中果たして如何。

あとがき

ここまで烏来の魅力を3つの記事でまとめてきました。

烏来グルメに舌鼓を打ち、歴史ロマンに思いを馳せながら

温泉に入って身体の芯まで温まりましょう。

烏来はあなたの訪問を待っています。

天気が変わりやすいので折りたたみ傘をお忘れなく!

では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)

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