哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
沖縄本島より南に位置する台湾は、夏が非常に長く冬は1~2ヶ月ほどで
高山地域を除いて、平地で雪が降ることはありません。
そんな台湾ですが、北西部苗栗県三義郷において
4~5月に疑似的な降雪が拝める場所がありますので
本記事では、その三義の観光地について紹介します。
交通
台北市内からだと、台湾鉄道在来線台北駅から南下する電車に乗りますが
途中苗栗県竹南駅から彰化県彰化駅まで
西の海側を通る海線と、東の内陸を通る山線の2つに分岐します。
三義駅は山線の停車ですので、間違えないよう山線の電車に乗りましょう。
万が一海線の電車に乗ってしまった場合は
竹南駅で後続の山線電車に乗り換えれば大丈夫です。
台北駅から特急電車と普通電車を乗り継ぎ2時間ほど。
なんだか懐かしい雰囲気の漂う三義駅に到着しました。
三義駅
三義駅構内に桐花(Tóng huā=桐の花)のオブジェが飾られています。
桐の花は毎年4月から5月に咲く花。白い大きな花びらが特徴的で
花びらが満開になると、花弁が茎から離れ地上に落下します。
その様子が台湾では見られない雪の降る情景に似ていることから
『五月之雪(Wǔ yuè zhī xuě)』と称されています。
三義駅から各桐の花の鑑賞地まで乗せてくれる無料の観光バスに乗り込み
(※2013年5月当時。現在運営の有無不明)
観光マップを見ながら、まずは日本統治時代に作られた橋を見に行くことに。
龍騰断橋
龍騰断橋のバス停留所を降りて約20分ほど歩きます。
緑が多いので空気がおいしく、マイナスイオンいっぱいです。
小道を抜けた先に龍騰断橋(Lóngténg duànqiáo)が出てきました。
ご覧の通り現在は使われていません。
この龍騰断橋は、日本が進めた台湾鉄道建設の中葉にあたる1908年
台中までの鉄道網を敷く際に建設されたレンガ造りの鉄道橋です。
開通後、台湾島内の交通と流通に大きく寄与したことは想像に難くありませんが
1935年に起きた台中地震により大部分が損壊し、その後使用されなくなりました。
地震前
地震後
さらに1999年9月21日台湾中部大地震により
上層にあった橋脚の一部が崩れて地面に落ち、現在のその姿になりました。
真ん中のレンガ一角が、落ちてきた部分です。
現在は立ち並ぶ赤レンガの橋脚が戦前の歴史を伝える遺産として景勝地になっています。
橋脚に心無い人が書いた落書きがありました。
良い子と良識ある大人は絶対にやめましょう。
台湾鉄道の歴史
台湾の鉄道の歴史は、19世紀後半の清朝統治時代まで遡ります。
当時欧米列強は領土や植民地の拡大を求めて船でアジア・アフリカへ進出。
↑写真はイメージです
清朝は、台湾が欧米諸国による中国大陸侵略の拠点になることを恐れ
それまでの消極的・局地的な台湾支配から一転、積極的支配にシフトし
北部の基隆から鉄道建設を進めましたが、大陸の腐敗した官僚政治と
それに対する暴動・内戦により資金不足に陥り、途中で建設を断念。
後に台湾を統治した日本が基隆から高雄までの鉄道を完成させました。
その鉄道が現在でも台湾鉄道として使われています。
五月に降る雪
再び観光バスに乗って、桐花古道がある場所へ移動し
五月の雪・桐の花が雪の道を作ると言われる山道へ。
入口には「四月雪小徑(Sì yuè xuě xiǎo jìng=4月雪の小道)」とあります。
桐の花が雪の様に降り積もる情景とは!
ドキドキ。
中々現れないので、山道をさらに登りますがそれでも桐の花が見当たりません。
すれ違いざまに下山していたおばさんに聞いてみると
おばさんが指差したのはコレ。
地面にある白いイソギンチャクが干からびたようなものが桐の花で
おばさん曰く、前の週に2日間風雨にさらされたせいで
雪の道を作っていた桐花のほとんどが、流され飛ばされたとのこと。
トホホ…と諦めていた桐の花でしたが
ひっそりと咲く遅咲きの一輪を発見!
5月に降る雪にお目にかかるにはタイミングが難しそうです。
観光に行かれる際は、直近の天気も含めて要チェックや!
あとがき
台湾に住む漢民族の祖先は
清朝時代に福建省から台湾島に渡来した閩南民系がほとんどですが
この他に同じ漢民族で広東省から来た客家(ハッカ)という民族もいて
特に新竹県及び苗栗県の両県に多く住んでいます。
後日、別の記事で台湾客家族についてまとめる予定です。
お楽しみに!
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)
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