かつて蔣介石が住んだ邸宅「士林官邸」と宋美齢

台湾の政治

以前、台湾の戦後政治史についての記事で

228事件と蔣介石についてまとめました。

蔣介石と228事件
台湾の政治史を語る上で良くも悪くもこの人物を抜きに語ることはできません。蔣介石蔣中正しょうちゅうせい、字あざなは介石かいせき。1887年浙江省生まれ。軍人、政治家、中華民国初代総統。抗日戦争の英雄終戦直後「以徳報怨」の寛大な心で日本人への接...

関連して本記事では蔣介石の旧邸宅だった

士林官邸(Shì lín guāndǐ)を紹介します。

自然を感じつつ散歩するに適した場所でもありますので

気になる方は是非足を運んでみてください。

交通

台北捷運(Táiběi jié yùn=台北メトロ)の赤いラインで北上し

士林駅で下車、駅から徒歩で約10分で士林官邸に到着。

士林官邸公園

士林官邸の西側に庭園として整備された士林官邸公園があり

緑が非常に豊かで森林浴しながら散歩することができます。

公園から歩を進めるとガーデニングされたエリアに入り

広々とした官邸の前庭では花々が来訪者を歓迎しています。

中華民国台湾の国花は梅。

春になれば梅の花が咲き乱れる景観を期待できそうです。

官邸咖啡

公園内は遊歩道が整備されていますが敷地が広いため

歩き疲れたらカフェで休憩しましょう。

カフェに併設されているお土産店には

国民党や蔣介石に関連したグッズが売られています。

中華民国台湾の国旗である青天白日満地紅旗をデザインした

マグカップやキーホルダーが多数あります。

青天白日満地紅旗

青天白日満地紅旗の構成は

青の部分=中国国民党のシンボルマークである青天白日旗と

赤の部分=清朝を打倒した辛亥革命で流れた血から成っています。

先述の如く、大東亜戦争後に大陸で中国共産党との内戦に敗退し

”中華民国”という国家を背負って台湾に逃れた蔣介石と国民党は

台湾で支配階級となり、ときに本島人を虐殺し、凌辱りょうじょくし、差別しました。

和解と平和の象徴 228和平公園
哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。前の記事で戦後の台湾史について228事件にまつわる蔣介石と、省籍問題にまつわる四四南村を紹介しました。本記事ではかつて戦前から台湾に居住し日本による統...

このブログで度々紹介している

司馬遼太郎著「街道をゆく 台湾紀行」で司馬氏は

中華民国と台湾の関係について、以下の様に表現しています。

「台湾は政治の矛盾のなかにいる。

 蔣介石がこの島に巨大な中華民国を持ち込んだが

 いまは虚構になってしまっているこを

 たれも知っている。実体は台湾島でしかない。

 中略

 しかしながら、現実に国民党が存在し、その政府がある。

 その党と政府が、”中華民国”という国を持っていたればこそ

 台湾島に乗りこんで国際法によって日本国の降伏を受降することができた。

 その後、国家はこの島に居すわった。

 居すわっている資格は”中華民国”だったからである。

かつて台湾で独裁政権をしいた国民党のマークが

中華民国台湾国旗の一部となっていることについて

台湾人の妻エイミーをはじめその親戚や信頼する台湾人の友人に

率直に考えを聞いてみましたが、皆一様に答えて曰く

小さい頃から国旗として教育を受けてきたので別に違和感ないよ」と。

宋美齢

士林官邸の入口付近には宋美齢そうびれいが乗った車が展示されています。

宋美齢は、中華民国の権力者にそれぞれ嫁ぎ影響力を行使した宋氏三姉妹の三女。

  • 長女藹齡あいれい:資産家で中華民国財務大臣の孔祥熙の嫁。
  • 次女慶齡けいれい:アジア初の共和国である中華民国建国の父孫文の嫁。
  • 三女美齢びれい:中国国民党の指導者で後に中華民国総統となった蔣介石の嫁。

宋氏三姉妹はそれぞれ嫁いだ夫とその半生から

「一人は富を愛し、一人は国を愛し、一人は権力を愛した」

と評され、NHK映像の世紀バタフライエフェクトでも放送されました。

「中国 女たちの愛と野望」 - 映像の世紀バタフライエフェクト
中華人民共和国の建国式典に毛沢東と共に天安門に上る女性がいた。「革命の父」孫文の未亡人・宋慶齢である。中国の権力の攻防の陰にはいつも女性がいた。辛亥革命から権力者を支えてきた宋家の三姉妹、「一人は国を愛し、一人は権力を愛し、一人は富を愛した...

三女宋美齢は日中戦争の際にアメリカ政界に巧みに取り入って援助を引き出し

戦後は夫と共に台湾に逃れ大陸反攻を掲げて反共活動に専心しました。

1975年蔣介石亡き後、政治的基盤が弱体化した宋美齢はアメリカに移住

80年代後半に台湾に戻り復権を企図するも当時民主化を進めた李登輝と対立。

台湾民主化の父・李登輝元総統の生家「源興居」
哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。台北郊外に三芝(Sān zhī)という場所があります。ここは台湾民主化の父・李登輝元総統の出身地として有名で福岡藩出身で第7代台湾総督の明石元二郎のお...

民主主義や法の支配を否定する発言を繰り返して台湾での影響力が低下

晩年は再度アメリカに移住して豪邸に住み

中華民国政府から派遣された料理人や看護師に世話されながら

2003年ニューヨークの自宅で死去。享年105歳。

宋美齢さん死去/台湾の故蒋介石夫人 | 四国新聞社
宋 美齢さん(そう・びれい=台湾の故蒋介石総統夫人)米東部時間23日午後11時17分(日本時間24日午後0時17分)、ニューヨークの自宅で死去。

士林官邸の由来

士林官邸の前身、元々日本統治時代には士林園芸試験所がありました。

中国大陸から台湾島に逃れて日本に代わり台湾を統治した際

蔣介石は陽明山に居を構えましたが、後に執政の利便性を鑑みて

1950年にこの地を総統官邸とし宋美齢と共に居住しました。

蔣介石が亡くなった後も24時間365日憲兵により警護され

約半世紀に渡り一般公開されていなかったものを

1996年に台北市政府が公園として整備し観光地化されました。

士林官邸

士林官邸正館
士林官邸正館

公園の奥に官邸があり、柵を越えて早速中に入ってみます。

官邸入り口で官邸内における飲食と撮影の禁止が念押しされました。

写真を撮影できなかったのは非常に残念でしたが

蔣介石と宋美齢が生前使っていた物や両人が過ごした寝室だけでなく

各国要人をもてなした客間とキッチンを見ることができました。

あとがき

台北市郊外の大同区、日本統治時代に台湾神社があった場所に

宋美齢が建てたホテル圓山大飯店(Yuán shāndà fàndiàn)があります。

圓山大飯店

その地下には、自身と蔣介石が政変時にいつでも逃亡できるよう

1973年全長70m以上の地下トンネルを作らせました。

高級ホテルの地下に、最高指導者の脱出トンネルが 作りや塗装に見えた、かつての緊張:朝日新聞GLOBE+
台湾で長く国民党を率いた蔣介石と、妻の宋美齢が設けた脱出用の秘密トンネルが昨年、観光客に公開された。海外の賓客を接待し、宿泊させる専用施設として使われた台北市の高級ホテル「円山大飯店」(①)にあり、中国による攻撃を想定していたとされる...

かつて台湾を私物化し、権力と中国という幻想にしがみついた両人

現代台湾の民百姓が自らをよしとし民主主義を享受するを一瞥いちべつ

彼らの胸中果して如何。

コメント

タイトルとURLをコピーしました