以前、台湾の戦後政治史についての記事で
228事件と蔣介石についてまとめました。

関連して本記事では蔣介石の旧邸宅だった
士林官邸(Shì lín guāndǐ)を紹介します。
自然を感じつつ散歩するに適した場所でもありますので
気になる方は是非足を運んでみてください。
交通

台北捷運(Táiběi jié yùn=台北メトロ)の赤いラインで北上し
士林駅で下車、駅から徒歩で約10分で士林官邸に到着。
士林官邸公園

士林官邸の西側に庭園として整備された士林官邸公園があり
緑が非常に豊かで森林浴しながら散歩することができます。

公園から歩を進めるとガーデニングされたエリアに入り
広々とした官邸の前庭では花々が来訪者を歓迎しています。


中華民国台湾の国花は梅。

春になれば梅の花が咲き乱れる景観を期待できそうです。
官邸咖啡
公園内は遊歩道が整備されていますが敷地が広いため
歩き疲れたらカフェで休憩しましょう。

カフェに併設されているお土産店には
国民党や蔣介石に関連したグッズが売られています。

中華民国台湾の国旗である青天白日満地紅旗をデザインした
マグカップやキーホルダーが多数あります。
青天白日満地紅旗
青天白日満地紅旗の構成は
青の部分=中国国民党のシンボルマークである青天白日旗と
赤の部分=清朝を打倒した辛亥革命で流れた血から成っています。

先述の如く、大東亜戦争後に大陸で中国共産党との内戦に敗退し
”中華民国”という国家を背負って台湾に逃れた蔣介石と国民党は
台湾で支配階級となり、ときに本島人を虐殺し、凌辱し、差別しました。


このブログで度々紹介している
司馬遼太郎著「街道をゆく 台湾紀行」で司馬氏は
中華民国と台湾の関係について、以下の様に表現しています。
「台湾は政治の矛盾のなかにいる。
蔣介石がこの島に巨大な中華民国を持ち込んだが
いまは虚構になってしまっているこを
たれも知っている。実体は台湾島でしかない。
中略
しかしながら、現実に国民党が存在し、その政府がある。
その党と政府が、”中華民国”という国を持っていたればこそ
台湾島に乗りこんで国際法によって日本国の降伏を受降することができた。
その後、国家はこの島に居すわった。
居すわっている資格は”中華民国”だったからである。

かつて台湾で独裁政権をしいた国民党のマークが
中華民国台湾国旗の一部となっていることについて
台湾人の妻エイミーをはじめその親戚や信頼する台湾人の友人に
率直に考えを聞いてみましたが、皆一様に答えて曰く

「小さい頃から国旗として教育を受けてきたので別に違和感ないよ」と。
宋美齢
士林官邸の入口付近には宋美齢が乗った車が展示されています。

宋美齢は、中華民国の権力者にそれぞれ嫁ぎ影響力を行使した宋氏三姉妹の三女。
- 長女藹齡:資産家で中華民国財務大臣の孔祥熙の嫁。
- 次女慶齡:アジア初の共和国である中華民国建国の父孫文の嫁。
- 三女美齢:中国国民党の指導者で後に中華民国総統となった蔣介石の嫁。
宋氏三姉妹はそれぞれ嫁いだ夫とその半生から
「一人は富を愛し、一人は国を愛し、一人は権力を愛した」
と評され、NHK映像の世紀バタフライエフェクトでも放送されました。


三女宋美齢は日中戦争の際にアメリカ政界に巧みに取り入って援助を引き出し
戦後は夫と共に台湾に逃れ大陸反攻を掲げて反共活動に専心しました。
1975年蔣介石亡き後、政治的基盤が弱体化した宋美齢はアメリカに移住
80年代後半に台湾に戻り復権を企図するも当時民主化を進めた李登輝と対立。


民主主義や法の支配を否定する発言を繰り返して台湾での影響力が低下
晩年は再度アメリカに移住して豪邸に住み
中華民国政府から派遣された料理人や看護師に世話されながら
2003年ニューヨークの自宅で死去。享年105歳。
士林官邸の由来
士林官邸の前身、元々日本統治時代には士林園芸試験所がありました。

中国大陸から台湾島に逃れて日本に代わり台湾を統治した際
蔣介石は陽明山に居を構えましたが、後に執政の利便性を鑑みて
1950年にこの地を総統官邸とし宋美齢と共に居住しました。

蔣介石が亡くなった後も24時間365日憲兵により警護され
約半世紀に渡り一般公開されていなかったものを

1996年に台北市政府が公園として整備し観光地化されました。
士林官邸

公園の奥に官邸があり、柵を越えて早速中に入ってみます。

官邸入り口で官邸内における飲食と撮影の禁止が念押しされました。

写真を撮影できなかったのは非常に残念でしたが
蔣介石と宋美齢が生前使っていた物や両人が過ごした寝室だけでなく
各国要人をもてなした客間とキッチンを見ることができました。
あとがき

台北市郊外の大同区、日本統治時代に台湾神社があった場所に
宋美齢が建てたホテル圓山大飯店(Yuán shāndà fàndiàn)があります。
その地下には、自身と蔣介石が政変時にいつでも逃亡できるよう
1973年全長70m以上の地下トンネルを作らせました。

かつて台湾を私物化し、権力と中国という幻想にしがみついた両人
現代台湾の民百姓が自らを由とし民主主義を享受するを一瞥し
彼らの胸中果して如何。
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