哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
台北モノレール中山駅の近くに「林森公園」という大きな公園があり
公園内に2つの鳥居がポツンと建てられています。
本記事ではここに鳥居が建てられた経緯をふまえ
散歩にもってこいの林森公園を紹介します。
交通

台北捷運(Táiběi jié yùn=台北モノレール)の赤いライン中山駅から
南京東路を東に歩いて徒歩10分ほど。

南京東路を歩いていると左手にオークラプレステージが見えます。

ドアマンにトイレを借りたいと言うと笑顔でドアを開けてくれます。
以前この二軒隣に美味しいつけ麺屋があったんですが

新型コロナウイルスで客足減少のあおりを受けて閉店したのか
はたまた移転したのか、現在は別のお店に変わったようです。
林森公園の歴史
立派なオークラプレステージ台北を尻目に直進を続けると
間もなく左手に林森公園(Lín sēn gōngyuán)が見えてきます。

戦前この一体は清朝時代に兵舎が設置され
日本が台湾を統治してからは墓地として利用されていました。
日清戦争の結果、下関条約により1895年に台湾が日本に割譲されると

(下関条約講和会議が行われた山口県下関市春帆楼にて、2019年筆者撮影)
台湾に残る清朝の残兵や一部の民衆が武装蜂起しこれに抵抗し
上陸する日本軍との武力衝突(乙未戦争)に発展しました。
ほどなくこれを鎮圧した日本軍は台北のこの地に戦死者を弔い
第3代台湾総督乃木希典のご令堂がここに埋葬されてからは
日本人専用の共同墓地として整備運用が続けられました。

後年、台湾教育令の発布や日月潭水力発電事業の確立などで
台湾の発展に貢献した第7代台湾総督明石元二郎が埋葬されると
その功績を祈念して1920年鳥居が増設されました。
戦後
戦後、中国共産党との内戦に敗れて中国大陸から台湾に敗走してきた
中国国民党軍人・憲兵やその家族が墓をあばいてここを避難所とし
千を超える違法住宅を建てて1990年代まで不法に占拠していました。

台北市政府は粘り強く交渉し違法にここに住んでいた人達を退去させて
1997年に公園として整備し、心無い人に物干しとして使われていた鳥居を復旧し
また、明石元二郎のお墓を台北郊外の新北市三芝郷に改葬しました。

(↑2018年撮影、明石元二郎のお墓は別記事でまとめる予定)
公園として整備されてからは、2004年日台有志による桜の植樹が進められ
本数は少ないですが現在でも桜を愛でることができます。

かつてここに眠っていた英霊を想い
合唱、礼拝。
あとがき

台湾通の人が「林森」と聞くと
台湾駐在の日本人や台湾に出張でよく来る日本人ビジネスマンには
「林森北路(Lín sēnběi lù)」を想起する方も多いかと思います。
このエリアは日本人向けの居酒屋やキャバクラが乱立していて
小生も台湾で働いていた頃、日本人の接待で利用していました。

そんなディープな台北のナイトタイムの前に
是非散歩がてら林森公園へ足を運んでみてください。
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)

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