哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
台北郊外に三芝(Sān zhī)という場所があります。
ここは台湾民主化の父・李登輝元総統の出身地として有名で
福岡藩出身で第7代台湾総督の明石元二郎のお墓もあります。
(※明石元二郎のお墓参りは、後日別の記事でまとめる予定)
本記事では、李登輝氏とその生家「源興居」を紹介します。
交通
台北捷運(Táiběi jié yùn=台北モノレール)の台北駅から
赤いラインの「淡水線」に乗車し北上、淡水駅で下車。


淡水駅で861番のバスに乗り換えて

片道30分ほどで三芝に到着します。
三芝遊客中心

陽だまりの中、三芝バス停付近を散歩してみると
日本の田舎にある古き良き原風景と同じにおいを感じます。
水田の水面に光る斜陽が美しい。

景色を眺めたり、写真に収めたりしながら歩くこと10分ほどで
目的地の三芝遊客中心(Sān zhī yóukè zhōngxīn)に到着。

ここ三芝が輩出した著名人のメモリアルホールも兼ねています。
李登輝元中華民国台湾総統
三芝が生んだ政治家と言えばこの人、李登輝(Lǐdēnghuī)元総統。

1923年日本統治下の台北三芝生まれ、日本名岩里政男(いわさと まさお)。
旧制台北高等学校(現在の国立台湾師範大学)に学び
京都帝国大学農学部に進学するも学徒出陣で動員され
東京大空襲に遭遇、1945年8月日本で終戦を迎える。

中華民国が台湾を接収した後台湾に帰国し
台湾大学農学部に編入して学び、学士学位取得後
アメリカコーネル大学で農業経済学の博士号取得。
帰国後は農業政策について蔣介石の息子・蔣経国に報告するうちに

その能力を買われ国民党に入党し政治家となる。
副総統として
1970年代から蔣経国総統の提唱する『十大建設』という
空港や高速道路などを建設する大規模なインフラ整備と公共事業がなされ
台湾経済はたちまち発展しアジアNIESの一つに数えられるまでに成長した。
1978年台北市長に任命された李登輝は
農業政策を中心に辣腕をふるい市政に専心し成果を収め
1984年蔣経国総統に指名され副総統に就任。

1988年蔣経国が病没すると、中華民国憲法の規定により
副総統だった李登輝が第4代中華民国総統に就任する。
総統として

総統に就任した李登輝は、戦後国民党政府が台湾に逃れて来て以来
42年間一度も改選されることなく歳費を貪るだけに過ぎなかった
名前だけの国民代表大会(=万年国会)の議員を引退・退職させた。
また中華民国憲法を改正し、中国共産党との戦争状態を規定していた
動員戡乱時期臨時条款を廃して228事件以来約40年続く戒厳令を解除し
1996年には台湾人民による直接選挙で中華民国総統に再選される。

2000年の中華民国台湾総統選挙で民進党候補の陳水扁が当選すると
平和裏に政権移譲して国民党首席を辞任、2001年に政界を引退。
引退後も政界で大きな影響力持ち、台湾の主体性を主張していたが
2020年7月死去。享年97。

李登輝元総統は戦前日本の近代化教育を受け流暢な日本語を話し
自身でも「22歳まで日本人だった」と話すほど日本通で知られ
政界引退後は、中国相手に右往左往する戦後の日本政府を手厳しく
しかし愛情を込めて批判しておられました。
合掌、礼拝。
台湾民主化の父

三芝遊客中心に併設されているメモリアルホールには
李登輝元総統を紹介する掲示があります。


三芝遊客中心の向かい側には、李登輝元総統の生家「源興居」があり
新北市の記念建築に登録され今後修復と再利用が計画されています。


あとがき

三芝は桜の名所としても知られ、毎年2月頃上旬には開花します。
稀代のリーダーに想いを馳せながら桜を観賞してください。
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)

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