哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
グルメと歴史の街・台南の観光地をシリーズで紹介しています。
本記事はラスト、貿易要塞である安平古堡(Ānpíng gǔ bǎo)。
付近の観光街安平路から橋頭海浜公園も含めてどうぞ。
安平老街
レストランやお土産屋が並ぶ安平路と古堡街の交差点からスタート。
17世紀頃この辺りは入り江だったそうで
当時付近に住んでいた原住民の村名がタイオワン(Teyowan)呼ばれていて
後の「台湾」という名前の由来となっています。
その後入り江は埋め立てられ、現在は台南市安平区として区画されており
悠久の歴史を有する安平老街の中には郷愁の念を呼び起こすアイテムも。
200年以上前民家だった建物も残っています。
道中、何か見たこともないモノが通りの脇に放置さているところを発見。
興味本位で近づいて見てみると
中には数人のおばあちゃん達が黙々と牡蠣の身を取り出していました。
牡蠣も台南の名産の一つだそうですが
パブリックスペースたる歩道を堂々と斯様に占拠するあたり
やはりと言うかさすがと言うか、台湾人商魂の逞しさよ。
安平開台天后宮
安平古堡に行く前に、媽祖様が祀られている廟でお参りしました。
ここは台湾で最も古い媽祖廟だそうです。
海に近い安平にあり海の神に信心深い人々が建立したそうです。
媽祖様の祭壇。
合掌、礼拝。
廟の中は正に豪華絢爛。一見の価値ありです。
ゼーランディア城
17世紀初頭、東アジアでの貿易拠点を作りたいオランダ東インド会社は
中国明朝と戦争・交渉の末に台湾島への入植を認めさせたうえで
台湾南部を制圧しゼーランディア城を築城し貿易要塞としました。
当時で赤嵌楼がプロビンティア城と呼ばれたのに対し
この安平古堡はゼーランディア城と呼ばれました。
当初オランダは澎湖諸島に攻め込み拠点を築こうとしたものの
明朝軍の激しい抵抗に遭い、約9ヶ月間の戦闘の末に講和が成立。
台湾への入植が認められ、オランダによる統治が始まりましたが
その後、鄭成功が台湾を反清復明の拠点するべくオランダ人を駆逐し
ゼーランディア城は安平古堡と名を変え、鄭氏政権の王城となりました。
安平古堡
安平古堡の周辺はガジュマルをはじめ様々な樹木に囲まれています。
生命力がハンパないです。
インド桜も植えられていて、その彩りの美しさで多くの人を魅了。
敷地内にも多くの木々や草花が植えられており
緑豊かな空間の心地よさで自然に心と足が弾みます。
入り口でチケットを買って入ります。
入るとすぐに見えてくるのが
台湾を外国勢力の支配から解放した民族の英雄鄭成功の銅像。
鄭氏政権時代を模して大砲のレプリカも置かれています。
上り階段がきついですが、展望台に登れば台南の街全体を一望できます。
橋頭海灘公園
安平古堡からバイクで西へ10分ほど走ったところに
夕日がきれいで有名な橋頭海灘公園(Qiáotóu hǎitān gōngyuán)があります。
夕日を望める海辺に到着。
残念ながら、この日は午後から出た雲に夕日が隠れてしまいました。
あとがき
現在の安平古堡は、1975年大幅修復事業を経て再建されたものですが
敷地内には当時のままの姿を残すレンガの石垣も散見されます。
オランダ統治時代の様子を知ることができる史料として
できる限りメンテナンスを施して残してほしいものです。
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)
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