哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
前の記事で民族融和の場所228和平公園を紹介しました。
本記事では、その228和平公園の北側対面にある
国立台湾博物館土地銀行展示館を紹介したいと想います。
先に結論
建物の外観は日本統治時代そのままに
建物の中は博物館の展示スペースとして利用しつつ
日本統治時代に使われていたアイテムなどをそのまま残して
ジュラ紀白亜紀→日本統治時代→現代をタイムリープできます。
228和平公園を散歩した後の避暑地として見学にお勧めです。
土地銀行外観
228和平公園北側対面にある土地銀行本店は、かつて日本統治時代に
旧日本勧業銀行や三井株式会社が使っていた当時のまま残されていて
現在は国立台湾博物館の一部「古生物館」として利用されています。
入り口正面にはギリシャ神殿を彷彿とさせるコリント。
早速中に入ってみましょう。
土地銀行館内
建物の中身は、戦後逐次リフォームされながら
日本統治時代に建てられた部分が今でも数多く残っています。
その内の一つ、金庫室。
ドラクエに出てきそうな分厚い扉の金庫室の扉の前には
通帳記入の機械があり参観証明として利用されています。
金庫室の中は、日本統治時代に利用された帳簿などを保管していたであろう
数多くのラックで占められていました。
また、当時日本による台湾統治によって
台湾がどのように発展しているかを紹介するために制作された
プロパガンダ映画の一部が中国語字幕付きで流されていました。
歴史を感じさせるものばかりです。
以徳報怨
↑日華基本条約調印を模した銅像、台北賓館にて2014年9月筆者撮影
戦後日本と中華民国との間に結ばれた講和条約『日華基本条約』で
中華民国は日本に戦争の賠償金を要求しないことが規定されました。
これにより
戦後蔣介石さんが云うところの
『以徳報怨(Yǐ dé bàoyuàn)=徳を以って怨みに報いる』で
戦後荒廃しきっていた日本に賠償金を要求しないという
蔣介石さんの情け深い気持ちに当時の日本は救われた。
蔣介石さんに感謝したい。
と考える日本人がいます。実際に、私が台湾在住時に知り合った
蔣介石の墓がある中正紀念堂にお参りに行ったことがあるという
中年の日本人夫婦からも、同じ趣旨の話を聞いたことがあります。
↑中正紀念堂にて、2013年11月筆者撮影
しかし実際は、戦後日本が台湾から引き上げる際に携行できたのは
リュックサックに入る荷物と、身の回り品だけに制限されました。
結果、日本政府が台湾に建造した建造物などの資産だけでなく
民間企業の所有物に至るまで多くの物がこの台湾の地に残され
戦後中国大陸から渡台した中国国民党政府が全てこれを没収します。
蔣介石は日本に対し賠償金を要求しないと日本に恩を売った傍らで
賠償金の何十倍も価値のある日本が台湾に残した資産を手に入れたわけです。
この旧日本勧業銀行台北支店も、当時国民党が手に入れた資産の一つ。
日本統治時代の評価
かつての日本による統治を全肯定する台湾人はいませんが
約50年にわたる植民地統治の歴史を
近代化や経済発展に寄与した部分と
民族による待遇差別や皇民化政策など
客観的に分析して良い部分と悪い部分とに分け
多くの台湾人が台湾の発展に寄与した部分を冷静に評価しています。
↑華西街観光夜市にて、2013年8月筆者撮影
同じ漢民族の本省人と外省人がそうしてきたように
恩讐を越え
台湾と日本が、今よりもっと、これからもずっと
良好で友好な関係を築くことを願って已みません。
あとがき
ここまで書いて思い出しましたが
国立台湾博物館古生物館は恐竜標本の展示もされています。
涼しいクーラーを浴びながらタイムリープの旅はいかがでしょうか?
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)
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