私が台湾留学を決意した理由

台湾留学

哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。

これまで台湾の語学センターや大学・大学院に留学した方は

それぞれの理由や動機があって渡台されたことと思います。

私も台湾師範大学国語教学センターでの中国語学習から

台湾大学大学院修士課程での研究及び中国語での論文執筆を含め

2012年から約6年間台湾にて学問を修めることがことができました。

そんな私が脱サラしてまで台湾留学した理由を、この記事でご紹介します。

台湾が好き

台湾留学する2012年まで、旅行で8回ほど渡台した経験がありましたが

行く先々で美しい風景、荘厳な自然、美味しいグルメ

そして台湾人が持つ情熱と優しさ出会うことができ

異国の地ですが、どこか懐かしい雰囲気を持った台湾に魅了されてしまいました。

中国語の習得

近年東アジア・東南アジア諸国の経済発展は目を見張るものがあります。

2010年に日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった中国の台頭や

台湾の基幹産業たる半導体産業の隆盛から、中国語を用いたビジネス需要が増えると予想し

キャリアアップや転職に有利になるように、中国語を習得したいと考えるに至りました。

中国語を学習する場所として、台湾と中国大陸が主な選択肢となりますが

台湾華語(台湾公用語としての中国語)は大陸のそれと比べると

単語や発音で多少違いがあるものの、どうせ中国語を学ぶなら

大好きな台湾に住んで語学歴史文化を学びたいと決めたわけです。

現実的なライフプランの再設計

私は大学を卒業後、とあるサービス業の店員として働いてきました。

その仕事が好きでしたし非常にやり甲斐のある仕事でしたが

昼夜逆転の生活、土日祝日は朝から晩まで業務に忙殺され

貴重な休みは体力の回復に専念するだけ。

費やす時間に見合わない薄給の仕事を一生続けることはできないと考え

外国語運用能力と学位を取得し、より高みを目指して再就職したいと

台湾への留学を決めました。

台湾人の親族の影響

私の祖父は、元台湾人でした。

日本統治時代の台湾に生まれ、当時の日本式近代教育を受けた後

成人して旧満州で仕事をしていたところ

当時同じく満州に出稼ぎに来ていた日本人の娘(私の祖母)と知り合い恋に落ち

終戦後その女性と一緒に引き揚げ船に乗って来日、結婚。

その関係で台湾の台中に住む親戚がおり、親しく交流を続けています。

水の違う異国の地である台湾で留学生活を送るにあたり

何か緊急の問題が起これば彼らに相談することができると

台湾を留学先として選びました。

日本と台湾に架かる橋のネジ一本になりたい

現在日本と台湾は正式な国交がありません。

以前台湾を知る日本人は少なかったものの、草の根の民間交流が続けられ

2011年3月東日本大震災が発生し、台湾から多額の義援金が日本に寄せられると

日台の関係は一気に親密になり、両国国民は非常に良好な関係を維持しています。

The website is under repair
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日本と台湾を祖国に持つ者として、両国関係が今以上に良好になれば

これほどの幸福はありません。

そのために、日台両国に架かる橋のネジ一本にでもなれればと思い

これからも粉骨砕身、日々精進していく所存であります。

あとがき

長々と書いてしまいましたが、以上が台湾留学を決意した理由です。

このブログで発信していく情報が、台湾にある中国語センターや

大学・大学院への留学を検討している人の参考になれば幸いです。

では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)

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