哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
コロナ禍を乗り越え、歴史的な円安も手伝って
日本を訪れる台湾人観光客の数が順調に回復しています。
福岡の主要な観光地でも台湾語(台湾土着の方言)があちこちから聞こえ
日本の経済発展に貢献してくれる台湾人観光客には感謝しかありません。
少しだけ古い情報ですが、在台湾日本大使館に相当する日本台湾交流協会が
2022年3月に台湾における対日世論調査結果を公表しています。
概要は産経新聞の記事に譲りますが
同じく在日本台湾大使館に相当する台北駐日経済文化代表処が
2023年12月に日本人の台湾に対する意識調査結果を公表しています。
いずれもの調査も、日台両国の国民が互いに親しみを感じつつ
互いに信頼でき、関係は良好であるとした回答が多数を占めたとの由。
まだ台湾をよく知らない・認識しない日本人が多かった2000年代初頭から
台湾フリークとしてウォッチしてきた私からすると、隔世の感さえあります。
きっかけは3.11
これほどまでに日台友好の機運が醸成されたきっかけは2011年東日本大震災。
台湾から200億円を超える義援金を寄せられると、受けた恩に感謝し
その恩を忘れず恩返しすべしと多くの日本人が感じました。
それが台湾の新聞にお礼広告を乗せる運動「謝謝台湾計画」として
あるいは台湾島まで泳いで感謝を伝える「日台黒潮泳断チャレンジ」として
更には旅行で台湾を訪れる日本人の草の根「謝謝台湾」運動として結実し
以降は地震・災害・疫病などの国難に際し、政府レベルでも互いに助け合い
国家 & 民間のいずれにおいても非常に良好な関係が維持されています。
中国共産党政府は苦虫を噛み潰したような顔で見ていることでしょう。
きっかけは9.21
それほどまでに多くの義援金を送って心を寄せてくれた台湾ですが
その背景には台湾から日本への「恩返し」がありました。
1999年9月21日深夜、台湾中部で激しい地震が発生。
(以下写真は2015年4月に921地震教育園区で撮影したものです)
その被害は凄まじく
震源地近くにあった学校では運動場のトラックがせり上がったり
校舎の一部が倒壊したり
付近の水田では土地の隆起が起こり
橋もめちゃくちゃになりました。
台中に住む私の親戚曰く、揺れのひどさに飛び起きて家族全員で家から脱出し
地震の揺れが収まるまで皆で抱き合い号泣したそうです。
そんな中
そんな中、日本の国際消防救助隊が
どの国よりも早く真っ先に現地に駆けつけ
どの国よりも一番多い人員で
倒壊した家屋に閉じ込められた幾人もの台湾人の命を救いました。
先述した私の親戚も含め、多くの台湾人がこの時の日本の援助に感謝しこれを忘れず
それが3.11東日本大震災の際、台湾からの義援金につながったわけです。
あとがき
A friend in need is a friend indeed.
『まさかの時の友こそ、真の友』