哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
前の記事で戦後の台湾史について
228事件にまつわる蔣介石と、省籍問題にまつわる四四南村を紹介しました。
本記事では
かつて戦前から台湾に居住し日本による統治を経験した本省人と
中国共産党との内戦に敗れ、戦後中国大陸から台湾に逃れてきた外省人との
和解と平和の象徴として建設された228和平公園及び228紀念館を紹介します。
先に結論
台湾が民主化され、1995年当時台湾の総統だった故李登輝氏は
国民党党首として228事件及び白色テロの被害者家族に対して謝罪し
今日の台湾は恩讐を越えて本外省人の民族融和が成り発展を続けています。
228和平公園はそんな複雑な台湾の歴史を内包する場所の1つです。
228和平公園
228和平公園は、事件後の和解と平和を祈念して建設されました。
公園の真ん中に事件の経緯を記した記念碑とオブジェが飾られています。
この記念碑の落成記念式典が行われた1995年2月28日
当時国民党党首で総統だった李登輝(本省人)が
228事件及びその後の白色テロによる被害者家族に対し公式に謝罪しました。
犠牲となった人々を想い、合掌礼拝。
228紀念館
公園内に228事件の背景と詳細を展示する228紀念館があります。
館内の掲示物は基本中国語、一部英語と日本語が併記されていますが
日本語音声で説明する機器も整備されていて
外国語が苦手な方でも安心して見学することができます。
事件の起こる前、日本統治時代末期の展示。
内地含め総力を尽くした太平洋戦争に敗れ
カイロ宣言に基づき台湾は中華民国に復帰する「光復」を迎えます。
↑総統府の展示、2015年10月筆者撮影
一説には、日本が戦争に「降伏」したその知らせを聞いた台湾人が
その音に「光復」という漢字を充てたことが由来と謂われています。
祖国に復帰を果たした台湾人は日本による支配からの解放に歓喜しましたが
その後中国共産党との内戦に敗れ台湾に敗走してきた国民党政府が政権を敷くと
謂れ無き罪で逮捕され警察から不条理な額の保釈金を巻き上げられたり
中央・地方政府の行政手続きや許認可でも賄賂を要求されるなど
台湾の地にもたらされたのは、国民党政府による行財政の腐敗と圧政でした。
闇市・闇商が多数町中に発生し、明日の日銭に迷う本省人が続出。
1947年2月27日、憲兵が台北市内で闇タバコを売っていた女性を取り締まり
売り物であるタバコと売上金を没収し女性を殴打したことから
遠巻きに見ていた本省人の群衆がこれに憤慨し憲兵に詰め寄ると
身の危険を感じた憲兵は群衆に向かって発砲し、本省人青年が死亡。
翌日義憤に駆られた大勢の本省人群衆がラジオ局に押し寄せこれを占拠し
「台湾人よ、立ち上がれ」
と日本語で本省人に暴動を呼びかけ、本省人による外省人狩りが続発すると
国民党政府は軍隊を出動させ武力でこれを鎮圧、凄惨な殺戮が為されました。
その後、全島に戒厳令が敷かれると
三民主義とは名ばかり
言論の自由はなくなり
無辜の市民が突然逮捕・処刑されるなど
恐怖政治で市民を監視・支配する白色テロの時代が約38年続きました。
台湾の民主化
↑総統府の展示、2015年10月筆者撮影
1988年、蔣介石亡き後台湾総統を務めた息子蔣経国が病死し
中華民国憲法の規定により、副総統の李登輝が総統に昇格すると
李登輝は憲法の改正、任期のない万年国会の解散など民主化政策を推し進め
1996年台湾国民による直接選挙で再度総統に選ばれ
名実ともに中華民国台湾は民主化を果たし現在に至ります。
↑総統府の展示、2015年10月筆者撮影
かつて台湾を包んだ暗黒の戒厳令と国民党による独裁・圧政の霧は晴れ
多く人の血と汗と涙が流れた末に獲得した「自由」と「法と秩序」という名の華は
着実に台湾の地に根を下ろし、中華圏で唯一の民主国家として見事に開花しています。
あとがき
私はストレートなので詳しいところはよく分かりませんが
現在228和平公園は同性愛者が集うレインボーな場所になっているとの由。
台湾がいかに平和を享受し自由を謳歌しているか理解できます。
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)
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