哈囉〜(Hā luó=台湾人がよく使うフランクな挨拶言葉。英語のHelloの意)春風です。
前の記事でまとめた通り、台湾では中秋節にBBQを楽しみますが
妻の従姉妹ルナさんに誘われて、BBQではなく台湾鉄板焼きをいただきました。
中秋節の夜
中秋節当日夜、街には家族友人とBBQを食べる人多数。
前の記事で先述した通り、1980年代頃から台湾のあるソース会社が
『一家揃ってバーベキューを食べよう!』
とCMを打ちまくったところ、台湾国内にたちまち波及し
そのタイミングでちょうど『中秋節』休暇が近かったために
中秋節にバーベキューを食べる文化が醸成されていったそうです。
こんな感じで公共の場所を堂々と占拠するのも台湾らしい光景です。
「公」と「私」
現地に来てみて感じるのは、「公」と「私」を日本の様に明確に分けず
公共の物・場所を占有・占領し、私的利用する台湾人が多いことです。
その一端には、特急指定席に予約していない人が座る例からも見てとれます。
日本では、特急指定席は予約した人だけが座れるプライベートスペースで
予約した人がいない場合、基本的にその席は空席のままで座る人はいませんが
台湾では「座る人がいないなら座っちゃえ」と予約していない人が座ります。
もちろん、席を予約した人がやってくれば席を譲るのでまだマシですが
悪質な例では、公園に洗濯物を干す輩がいるなど枚挙に暇がありません。
旅行の紀行文を通して台湾の複雑且つ濃密な歴史を学べる名著
『街道をゆく 台湾紀行』で、作者の司馬遼太郎は
漢民族の「公」と「私」について、以下の様に分析しています。
身もふたもなくいえば、歴朝中国皇帝は私で、公であったことがない。
その股肱の官僚もまた私で、たとえば地方官の場合
ふんだんに賄賂をとることは自然な私の営みだった。
このため近代が興りにくかった。
台湾にやってきた蔣介石の権力も、当然私であった。
一方、勝者になった毛沢東の権力も、多分に私だった。
中略
ひとびとの側に立って考えてみる。
歴朝の私が人民にとって飢えた虎でありつづけた以上
ひとびとはしたたかに私として自衛せざるをえなかったのである。
有豐鐵板燒
前置きが長くなりました。ルナさん夫ジャックさんの運転でレストランに到着。
眼の前でコックさんが焼いてくれるスタイル、活気があります。
この日はルナさん夫妻の一人娘も下宿先の屏東から帰省して一緒にいただきました。
味は…微妙。
しかも注文してからメインディッシュが提供されるまで、15分待ちました。
もう来ることはないでしょう。
あとがき
先述した公園に洗濯物を干す例はもちのロンでNGですが
他人に迷惑かけていなければそれを許容するというのも
多様性と寛容の国・台湾の魅力の一つかもしれません。
15夜のお月様が台湾の地を照らしています。
この国が再び外来政権に支配されることなく
民主的プロセスで自分たちの未来を決め
人民が幸せを享受し更に経済発展していくことを願って。
では、881〜(Bābāyī、台湾でポケベルが使われていた当時バイバイの意)
コメント